2021年1月18日
弟のような存在で、ずっと一緒にバドをしてきた友人が心不全で亡くなった
生きている事が当たり前で、これからも一緒に試合に出たり、バカなこと言ったりするんだろうと思っていた
でも、それは当たり前ではなく、人は必ずいつか亡くなる。。
それこそが当たり前だったのに・・・
しんみりするのは、あいつも望んでないだろうし、ここにあいつとの出会いや思い出を残しておこうと思います
出会いは友人が高校生のとき。第一印象は「うわっ…こいつ…チャライ」
自分がバドを始めたのは社会人からで、当時すごく御世話になっていた方のクラブで練習に明け暮れていました。
そんな時、彼が練習にやってきました。第一印象は今でも良く覚えています。
「うわっ・・・チャッッッラ!!」
襟足を伸ばしてて、プージャーを腰パンで履いて・・・・彼女と一緒に来ていた。
正直・・・・一番嫌いなタイプでした笑
クラブではレベル分けをしてずっとゲーム錬をやっていました。
経験者って言うことで彼も自分達と同じところで一緒にやることになりました
プレーの第一印象は・・・
「スマッシュ鬼はやっ!とびすぎっ!動きはやっ!!」
その時に思ったのが言い方悪いですが、ノミのようなプレースタイルだなって思いました笑
今思い出すと、見た目の第一印象もそうですがプレーの第一印象も衝撃的だったなぁと思います
ただ、実際に話をするようになり、仲良くなってくると本当にいい子で見た目はちゃらいのに中身は真面目でバドが
上手くなりたい!ってめっちゃ頑張り屋の子でした
仲良くなってきて皆は苗字で呼んでいましたが、自分はその時からずっと
「チャラ男」
と呼ぶようになりました。このあだ名が後に色んな人に言われるようになるなんて・・・誰も思ってませんでした笑
そして、色んなクラブに一緒に行くようになり、練習して帰りにラーメン行ってバドの話やら色んな話をして・・・
を毎日のようにしていました
あの頃は本当に楽しかったなぁ
時はたち、クラブが使っていた体育館が使えなくなり、自分も結婚などで市外に住むようになり、あまり練習などで
会わなくなった時期もありました。
その頃の自分はダブルスのペアの子と本気でバドに取り組んでいて、周りのことをあまり意識せずに過ごしていました
そんな中でも、チャラ男はわざわざ練習場所に来てくれたり、試合に誘ってくれたりして本当の弟のように思っていました
ダブルスのペアが県外に行くことになり、自分のバド熱がジュニアに傾いていたころも、ジュニアに来てくれたりずっとそのころも
試合に誘ってくれたりして、よく二人で試合に出ていました。
ここ数年は、チャラ男は肩が痛くて練習も出来ないようで、前々顔を見なくなっていました
それでも、まぁ元気にゲームでもやってんだろうな!笑
くらいに思っていました。
コロナが流行る前に、自分のバド熱も少しずつ復活してきて試合に出てみよっかなぁって
嫁と話をしていた。
試合に出るにはペア問題があり、組んでくれる人いないかなぁって思っていたときに
思い浮かぶのは、チャラ男でした。
ほんとに気兼ねなく楽しくバドが出来る最高のパートナーでした。
そんなことを思っていた矢先・・・・
「チャラ男が亡くなった」
連絡を貰ったときは、本当に信じられなかった
生きていることが当たり前だと思っていた
こんなに早く亡くなるはずはないって思っていた
それは違ってた。人は誰でもいつか亡くなる
年功序列で順番に亡くなるわけでもない
それは誰でも訪れること。。ほんと突然に・・・・
あれからもぉ1年。先日お墓参りに行ってきた。
今も元気にやってんのかな。ちゃらおー元気かー?
俺は元気!お前と試合に出れなくて寂しいぞ。お前と組むのが楽しくて他の人と組める自信ねーぞ
向こうでもバドやってんのかな。相変わらずノミみたいに動き回ってサーバーの後ろでハーハー言ってんだろうな笑
何十年かしたらそっち行くからそのときはまた話しような。
ちゃら男と仲が良かった方に最近会い、ちゃら男の話になり
「亡くなる前に話してたんですが、肩も大分よくなって試合に出たいと、全然練習してないけど
たけおりさんと出たい」
って、言ってたそうで・・・危うく泣きそうになった
俺も出たかったぞー!
生きるってことは、簡単そうで本当はとても大変なことなんだなと思います
また今度でいっかって思ってると・・・・後悔することになるかもしれない
なので、今出来る事は今精一杯やろうって思いました
皆が健康で長生きできますよーに!